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2012年9月22日 (土)

さみしい台湾人

上海での働く(あるいは働いていた)台湾人のエピソードから、中国での仕事をすることの難しさを考えます。

まず、ヨメの台湾時代の同僚のエピソード。
ヨメはかつて布製品を製造する会社に勤めていました。その会社は上海に事務所を作ることにナリ、ヨメの同僚がそのスタッフとして上海へ渡りました。
しかし現在はその会社を辞め、台湾で暮しています。なぜ彼女は帰ってきたのか?

幼い子供を台湾においての単身赴任が負担であったことも一因です。母親との交流が大切な時期を離れ離れに暮したことは現在の台湾での生活にも影を落としていて、子供があまりなつかないといいます。

別の理由として、上海でコミュニティを築けなかったことを挙げます。

上海事務所での従業員は中国人がメインとなりますが、社長の指示で従業員と交流を持つことを禁じられていたといいます。
社長はその理由として「交流が深まれば会社の経営に関わることが話題になるかもしれない。あるいは伝えるに不適切なことを伝えてしまうかもしれない」といっていたそうです。

彼女は会社以外ではコミュニティがありませんでした。
会社という機会を除けば日常生活でゼロから人脈を広がる機会は多くありません。
子供を台湾においてきてたある種の後ろめたさ、そのくせ上海で中国人と距離を置くように指示される生活。彼女の上海での生活は孤独なものでした。

彼女は退職し、台湾に戻ることを選びました。

***

もう一人の台湾人、ヨメの従兄弟のエピソード。

従兄弟の父親は上海で起業しました。
父親は台湾から従兄弟と事業パートナーを連れてやってきて、会社を経営しています。

社長、副社長、(ある製品を作る工場の)工場長を全て台湾人で構成しています。
従兄弟は工場長を担当しています。工場といっても中国人従業員を4名雇う小規模なものだそうですが。

従兄弟の場合も父親(社長)の指示は同じでした。
「従業員と友人関係になるな」。その理由も同様です。

彼の場合も会社という場を除けば友人を作る機会に恵まれなかったといいます。
「上海に来て3年になるが、外国人と友人になったといえるのはヒサシが初めてだ」という言葉は衝撃でした。

そんな彼にとって8月に僕と一緒に上海にやってきたヨメはとても助けとなる存在のようでした。父親から僕らの上海での生活をサポートするよう言われてのことだとは思いますが、せっせと携帯に電話をしてきては「晩御飯を食べよう」と誘い出し、延々と台湾語でしゃべりたおすことが続きました。

仕事上や生活上の悩み、愚痴やあるいは自慢したいこと。
まるで思春期の女の子のようにペチャクチャと、そして感情豊かに話す従兄弟。
父親に相談を持ちかけることもあるといいますがそれも限度があります。同年代のヨメは彼の飢餓感を爆発させる存在でした。

しかしヨメは日本での大学生活が残っているので9月中旬に帰国しました。
残った「友人」の僕の中国語は、しかし彼の飢餓を満たすほど流暢ではありません。彼は僕とどのようにコミュニケーションをとればいいのか、探っているようでもあります。
(外国語の水準が低い人とのコミュニケーションにはある種のコツがいります。その概念がない人にとっては「会話が成立しない人」であって躊躇してしまいます)

父親から派生するコミュニティは「上海での台湾人経営者」が多いそうですが、年齢面でもビジネススキルの面でも距離を感じるといいます。会社のもうひとりの台湾人(副社長)は10歳ほどの年が離れていますが、こちらから派生するものもかんばしくない様子。

さらに中国人コミュニティが広がる機会を疎外していることの原因のひとつではないかと思うのが、彼の中国人への認識です。「経営に関わることを話してしまうかもしれない」とは日本国内で日本人と働いていてもいえることですが、「"中国人"に話してしまうかもしれない」という思想をその背景に強く感じます。

彼は愚痴を漏らします。
中国人は雇用しても定着しない。一年も経てば全員入れ替わる。しかも連絡なく来なくなることも多い。いつも雇用と教育をしているようなものだ。
これは日本のメディアでもよく語られることですから、実際起きていることなのだと思います。でも、彼は仕事以外の会話の端々に「まったく中国人は」という響きを含ませる事が少なくありません。
そりゃぁ僕だって「もう中国という国は」と思うことも少なくありませんけれど・・・。

それは父親の影響によるのか、彼自身の経験によるのか。・・・いや、その両方によって生まれた感情なのだとは思います。
仮に父親の影響がもっとも強いものだとしても、父親がなんの根拠もなしに「中国人と深く交流するな」ということは考えにくいことです。そう指示するにいたる様々な自身の経験、あるいはほかの台湾人経営者からの交流から学んだ経緯があるはずです。
そういう意味では父親のもつ危機感は正しいものなのかもしれません。
しかし、外国で事業をしながら当事国の人々を信じることが出来ないというのはなんだか矛盾しているようでもあります。無茶な話です。

***

先週中ごろから週末にかけて、相当に大規模な反日デモが行われました。

上海ではそれほどではありませんでしたが、地方によってはあまりにひどい略奪や放火が行われました。
(裏で中国政府の指示があったとかいろいろ憶測はありますが)そのような行動に出る中国国民の姿に疑問を感じます。どう考えても異常です。
嫁の同僚の社長や、従兄弟の父親たちはこのような場面に接した経験があるのかもしれません。「中国人との交流には注意が必要だ」と思わせるに充分な経験が。

一方でデモを冷ややかな目で見る中国人もいるし、「中国の恥だ!」とネットでツイートする人々もいます。それは台湾企業で働く人々も同様でしょう。
しかし「いろいろな中国人がいる。しっかり見定めて交流するように」ではない。もっとハンドルを切って「中国人従業員と深く交流するな」と指示されている。

どちらが正しい見方なのかは難しい問題です。そもそも唯一の「正しい見方」はないでしょう。リスクが不透明ならば、最悪の事態を想定して準備する・・・それはけっこう「正しい選択」に思います。

しかし。
その危機感を強く抱いてまで外国で仕事をするのって、やっぱりさみしいですね。

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プロフィール

  • こんにちは。

    僕はコールセンターでオペレーション部門のマネジャーだった元サラリーマンです。2013年より上海で中医学を学んでいます。
    →2019年の医師試験に奇跡的に合格、晴れて中医師に!
    →就職活動を始めるも、中国ビザ規定では「経験2年以上でないとダメ」、新卒じゃダメじゃん
    →ある外資系クリニックに事務系何でも屋として拾ってもらう(いまココ)

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