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2012年4月 9日 (月)

コールセンター 入社から退職まで(4)ストレスと疲労、身体への影響

様々な試行錯誤は、しかし華々しい成果にいたりませんでした。
人材が落ち着かずに運用品質が上がりません。その防止策として様々な施策を試みるも、内外の要因があってこちらも芳しくありませんでした。

ある時期においては、その苦しみを楽しむ余裕もありました。
しかし炎上が収まる様子を見せず、人材も定着しない職場に焦りを感じ始めます。
年単位の月日が流れ、またエンプロイアビリティの意識が芽生えてからは、それはどんどん加速していきました。

その昔は疲労についてふと同僚にそのことを告げてみても「え!?いつもニコニコしてるから気づかなかったよ!!」と空元気だけは出していたようですが、やがて「いつも・・・疲れているよね・・・?」と変化しました。

いったいそこまでして目指す価値があるんだろうか?
そもそも本当に到達できるんだろうか?と悩むようになります。

■ 疲労、満たされないエンプロイアビリティ

以前に比べて、疲労を感じることが多くなりました。
それまでは肩こりなんてなかったのに、常に肩こりを・・・いや、「こり」ではなく「痛み」を感じるようになりました。首から背中、腰、足とその背面が常にこっている感じ。

それは僕だけに起きたものではなく、チームスタッフ全般で声の上がるものでした。
実際に退職した人もいるし、部署異動をした人もいました。

「医師から自律神経失調症と診断された」
「アレルギーがひどくなってきて、これ以上勤務することは出来ない」
「睡眠障害がでるようになってきた」

でも、この頃はまだ僕はチームにとどまることを目指しました。
苦しくもしかしこれを乗り越えなければエンプロイアビリティはのぞめないと考えたためです。

そのためには、退職者の穴埋めのために徹夜して仕事をすることもいといませんでした。
ただ残念なのは、そこまでして処理する仕事が大したレベルのものでなかった例が少なくないということでした。「エンプロイアビリティのためだ」と張り切って行う作業のほとんどが、実はエンプロイアビリティを満たさないという・・・。

異動したSVのなかには、「エンプロイアビリティ」という言葉ではありませんでしたが、現在の職務が激務の割に糧になりそうにないと訴えた人もいました。
そんな「糧になりそうにない」仕事を引き継ぐ僕。
モチベーションはどん底まで下がりますが、「そんなチームを立て直したマネジャー、とみんな僕を評価せざるを得ないだろう」とシナリオを作っては自らを動機付けしていました。

かといってただ体をすり減らすのも能がありませんから、それまで慣習的にオペレーション部門が行っていた業務のいくつかを他部署へアウトソースするよう仕向けました。
単純作業でありながら時間をとられるシフティング、勤怠管理、データベース更新作業について他部署への移管を(少々強引に)進めました。
これはなかなか骨が折れるもので、やはり僕の(あるいは移管先のスタッフの)ダメージを深めるものでしたが必要不可欠と信じて行いました。
なお、このアウトソースの動きはオペレーション部内のほかのチームにも波及し、彼らの負荷を下げる効果を後に生むことになりました。

■ メンタルへの影響

2011年になりました。

その頃、何世代目かに入れ替わっていた管理者層はさらに経験値を落としていました。
しかしあきらめることは出来ませんから、一定の教育期間をやむなきものとして、一時的に僕があらゆる業務を行うよう計画を立て、さらに歯を食いしばってマネジメントを行っていました。新しく合流したSVには、限定的な管理業務・・・あるいはオペレーターと同じ実務を担当させ、知識獲得を狙ったのです。

もちろんそのシナリオはこれまでの世代にも適用しては、志半ばで人材が流出することでゴールにたどり着いた事がないのですが、しかしそれ以上の解決策を生む事が出来なかったのです。


そして、3月11日に東日本題震災が起きました。
当時の状況については以前エントリーに書いたとおり


震災直後は感覚が麻痺したように、さらなる激務を、しかし意欲的に行うことが出来ました。
一方で確実に身体にはダメージが蓄積されていたようでした。

当時、新たなサービスが導入されることになっていたのですが、スケジュール遅延は認められないものでした。
当時の仕事は「クライアントがクライアントから仕事を受注する」スタイルでしたがクライアント社内に要件定義を固める人材が欠落していました。そのため僕が彼らの窓口のような立場を担ってでこれまでも立ち回ってきたのですが(僕がやらなくてもいいじゃないかという声もあったけれど、そうするとめちゃくちゃな要件定義で僕らが運用するハメになる)・・・。そのプロジェクトはとくにその混乱が激しく、僕を激しく揺さぶりました。
またそのプロジェクトから派生する次のプロジェクトもまたかなり混乱の激しいもので、夏ごろには決定的に僕にダメージを与えました。

メンタルに影響が出るようになりました。

最初は、イライラしやすいな?というものでした。
それだけならこれまでもあったことです。「イライラしてはいけない」と考え、頭を切り替えればある程度はおさまったものですが、どうも様子が違う。
歯を食いしばっている、目つきが悪くなっている、声を荒げている・・・それらが無意識に出て、周りの雰囲気でふとわれに返ることが多くなります。
炎上の職場ですから、なんらかの統計作業をしていても作業中断を余儀なくされる場面が少なくありません。しかし、それがかなりの怒りの衝動を起こすようになります。ときには舌打ちをしてしまい、スタッフをドン引きさせてしますこともありました。

あるいは、動悸で苦しくなったり。ある時すわ地震か?とオフィスをきょろきょろしても誰も反応しない。けげんそうに僕を見つめる社内のスタッフ達、気づけばそれは僕の胸の鼓動でした。
著しく記憶力が低下しました。「え?さっき言いましたよ」という場面が増えます。物事を覚えられなくなり、バカみたいにメモするようになりました。
また、会話が不自由になりました。それまでは聖徳太子ヨロシク、周りから一斉に話しかけられてもそれぞれに回答を瞬時に下せていたのが、一対一ですらろくに会話が出来ないこともありました。

これらが職場や僕を苦しめるものであればまだしも(いや良くないけど)、その影響がプライベートにおよび始めてきました。
ある休日は、ベッドから出ることが出来ずに一日中寝ていることもありました。
せめてものエネルギー源だったヨメとのデートや、勉強会への出席も取りやめ。

なんとか外に出てみるも、子供が泣いているといったくだらないことでイライラしたり、目的地に着く前に意欲を失って帰ることも。
当時はヨメにかなりイヤな思いをさせました。

これってウツなんじゃないのか?
おいおい、冗談じゃないぞ、と青ざめました。
そしてみるみる減る体重。
ここにきて、ようやく考えるようになりました。

僕個人が悶々とするならまだしも、周りに影響を与え始めている。
家族にまで悪影響を与えて、そこまでしてエンプロイアビリティを目指すのってどうなんだ?
っていうか、ホントにこの環境でエンプロイアビリティを獲得できるのかよ?
いろいろ苦労してきたけれど、結局ドンキホーテなんじゃねーの?

実務において書籍などを通じて武装を怠りませんでしたが、メンタルについてもそれは同じでした。様々な啓発書籍を読んでは意識改革を試みました。
しかし、そんな試行錯誤が、度を過ぎたドーピングとなっていたのではないかと思いあたりました。僕の許容を超える武装をしてしまってたのではないか、と。


■ 担当業務終了と、その後の展望

そんなある日、運用する業務がなくなることが決定しました。

受注当時はコスト度外視で設計されていた請求体系であったのを、その後の自社の経営陣刷新により見直しが行われていました。それによってクライアントにとってはコスト増大となったこと、また今回の震災で運営するオフィスの脆弱性が露呈した事が要因でした。

この業務が終了すれば、ある種のリセットとなり、僕のダメージは回復に向かうだろうし、マネジメントや学びといったチャレンジもあるいはやり直すことが出来るかもしれない。
そんな展望が開けました。自ら切り開いたステージではないことが惜しいのだけれど。

でも、そのステージは決して再チャレンジ可能であると約束されたものではないだろうなという考えもありました。
次のステージがどういうものであるか、まったく僕のコントロールするところにあるものではなかったからです。
当時はセンター長やオペレーション部長ですら、たいして大型でもない新規サービスについて「人手が足りないから」という理由で業務立上げや、あろうことかオペレーションをおこなっている有様でした。

そんな環境で、一体なにをやることができるんだろう?
結局別の荒波に放り込まれて違う苦しみを味わうだけじゃないのか。「マネジャー」と冠をつけられながら、マネジャーとしてのミッションをろくに遂行することも出来ず、SVとしても満足に時間を割けず、あまつさえオペレーターレベルの実務を行う・・・?

まったくモチベーションが上がりませんでした。
しかしキャリアの志向はあきらめたわけではありませんでした。

僕は、「いかに人を巻き込んで動くか」を目指したい!
学びのシステムを軸として、人を変化させたい!

でも、この環境ではムリな挑戦だろうとしか思えなかったのです。

(つづく)


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    僕はコールセンターでオペレーション部門のマネジャーだった元サラリーマンです。2013年より上海で中医学を学んでいます。
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