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2012年4月 9日 (月)

コールセンター 入社から退職まで(5)つぎのキャリアパスの展望

そんな2011年秋ごろ、ヨメを通じて義父からの提案が寄せられました。
中医師にならないか?そのために上海留学しないか?というものでした。

そんな予想外で突拍子もない提案は、かつてなら悩むことなく丁重にお断りするものでした。なぜなら目指すキャリアパスが異なっていたからです。
今回は真剣に悩みました。現在の境遇を打開するものとして魅力的だったのです。
しかし一方で、「抜け道にそれるだけではないか」という思いもありました。

3ヶ月ほど悩んだ結果、僕はその提案を受け入れることにしました。

年齢的な障害があることを理解しています(新卒入学する同級生に比べれて一回り年上なのだから)。しかし、僕にはこれまでの経験があります。
きっと、一味も二味も違う、アドバンテージをもった中医師になれるはずです。

■ 義理の父からの提案

四苦八苦を続ける、ある2011年秋ごろ、ヨメを通じて義父からの提案が寄せられました。

彼はその生い立ちから中医業界への接点があるのですが、彼の子供は誰もそういった業界へ関心を抱かない。ついては僕は興味はあるか?
興味があるのだったら、知識や経験習得に必要な支援をおこなうから・・・具体的には専門教育を受ける資金提供をするから、上海へ行かないか?というものでした。

これまでであれば、そんな提案があってもお断りしていたはずです。
ありがとう、でも僕はいまの職場で成果を出す必要があると信じているのだから、と。

しかし、その信念は崩壊寸前でした。
「いまの職場で成果を出す」には年単位の時間が必要であると思われ、しかしそれは相当公私共に体力と気力を犠牲にしなければ達成できそうになかった。払うコストとリターンのバランスが見えませんでした。
そんな僕を苦しめる業務は、クライアント自社運営となる事が決まりやがて手を離れる。
しかしその先に新しいチャレンジが行える環境があるのかどうか、不透明でした。二の舞になる可能性もあるわけです。
そして、東日本大震災で揺らぐ価値観。

■ キャリア・トランジションとシャインの3つの問い

キャリア的な視点から、振り返ります。

キャリア教育でいうと、当時の僕は「キャリア・トランジションに直面している」といえました。
これまでコールセンターのオペレーション部門マネジャーを主軸としたキャリアを一度立ち止まり、次の道すじの検討を求められている状態です。

この際に参考となるのは「シャインの3つの問い」からなる、僕のキャリア志向でした。
エドガー・シャインは、次の3つの問いを内省することで、自らのキャリアの基盤をしることができると説きました。

1.なにが得意なのか 2.なにをやりたいのか 3.なにに意味を感じ、やりがいを感じるのか

僕の回答はこうです。

1.ものごとをデザイン/設計/体系化すること
2.ヒトに変化をもたらすこと
3.ヒトに変化がおきて生き生きとする姿をみること

「コールセンターのオペレーション部門マネジャー」に固執しなければいけない理由はありません。
医師という職業であっても、これらの3つの回答を実現するに充分であると考えられます。


■ 「身体」への関心

前職の経験を通じた自分の身体不調から「身体」への関心が高まっていました。
あるいは医療機関に相談を繰り返す過程で、それまで僕が思っていたほど医療行為というのはパーフェクトではないのだという気づきもありました。
身体というものは本当に複雑に構成されていて、「あぁこれは○○と診断される。その場合はこの○○という薬でOK」と言い切れる・・・とは実はごく少数であるということを知ったのです。
極端にいえば、診察する医師の数だけ診断結果が異なるのです(「医療の不確実性」といいます)。

あるいは同僚達が次々に職場を去っていく姿を見送りながら、彼らのサポートを違う側面で行えなかったのだろうかというジレンマがありました。たとえば身体の修復をサポートするような?


■ 不安もあるけれど、光もある

シャインの3つの問いの回答を実現する舞台として。
また沸き起こる関心へのアプローチとして。
中医師というキャリアパスはとても魅力的だと考えるようになりました。

しかしながら不安もあります。
語学力と年齢の弱みです。

僕の中国語のレベルは低いものです。
入学時36歳という年齢は、新卒の大学生とくらべて一回り上です。
とくに卒業時の年齢。卒業時はおそらく42歳ですが、医師の42歳といえばベテランと呼ばれる年齢です。

しかし、かねてからヨメと語る長期的なライフプランに、将来は海外に生活拠点を移す、というものがありました。
そのためには現在の「日本語ネイティブ、英語そこそこ、中国語ヨチヨチ」レベルではQOLの高い海外生活を送れるわけがないと知っていました。いつか語学力は飛躍的に高める必要がありました。

また、年齢については、確かに「新卒ヨロシク頭マッサラで学んで医師になる」であれば絶望的です。しかし、僕にはこれまでのキャリアがあります。
コールセンター入社時に未経験でありながら前職(デザイナー)の経験を生かして 早くからそれなりにやれてきたように、僕には(まぁそこそこかもしれないけど)数年マネジメントを実務してきた経験があるし、その過程で習得したビジネス全般の知識があります。
新卒の医学生がもたないモノを既に持っているアドバンテージがありました。


***

・・・と、まとめるとこんな感じでサッパリしているわけですが、当時は相当に苦しんで悩んで決めました。一日中家にこもって考えるとか・・・。

そんないきさつを知らない上司は、僕の退職の申し出とその理由に少々唖然とした様子ではありましたが、しかし職場がドン詰まりであることは彼女も知るところで歓迎してくれました。


***

かくして僕は2月15日を最終出社とし、退職しました。

業務引継ぎは本当に苦しいものでした。最後まで社内外のくだらないヒエラレルキーや衝突に対応しながら、最後までエネルギーを搾り取られるように引継ぎ日を迎えました。
その過程では、一度心が折れそうになったこともありましたが、そのときは正直にダウン寸前であることを同僚に伝えて休暇を得て乗り越えました。


最終出社日を過ぎ、あれから約2ヶ月(このエントリーを書いている日)。今は平穏です。
上海へ旅行をかねた現地視察を終えて一抹の不安はあれど(エントリー参照)、現地で様々な人のサポートを受けられることも分かりました。

前職時代のダメージはなお残るようで、あまり張り切って勉強(ぶっとおし4時間程度でも)すると、ストレスになってしまうようで体調を崩します。
「まずは体調を整える充電期間だ」とわかってはいるのですが、まぁ、焦ってしまうわけです。でもそんな焦りも、日がたつにつれて徐々に薄れていきました。もちろんいい意味で。

■ mosaicをはじめとする活動の展望

上海移住後は学業に真摯につとめたいと思っていますが、それでもかつてのコールセンター時代に比べれば時間の余裕が出来るはずです。
その機会をもとに『mosaic』再開をはじめ様々なことにチャレンジしたいと思っています。

上海はいまアジアで最もホットな都市のひとつです。多様性に富む世界での交流拡張は、学生時代の生活だけでなく、卒業後のありかたも質高くすることでしょう。
そう考えると、日本にいながらワクワクしてしまいます。

(おしまい)

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プロフィール

  • こんにちは。

    僕はコールセンターでオペレーション部門のマネジャーだった元サラリーマンです。2013年より上海で中医学を学んでいます。
    →2019年の医師試験に奇跡的に合格、晴れて中医師に!
    →就職活動を始めるも、中国ビザ規定では「経験2年以上でないとダメ」、新卒じゃダメじゃん
    →ある外資系クリニックに事務系何でも屋として拾ってもらう(いまココ)

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