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2012年4月 7日 (土)

コールセンター 入社から退職まで(1)アウトライン

以前のエントリーで退職メールを転載しましたが、2月15日を最終出社日とし、またその後の有給取得を経て4月末日付けで長らく勤めたコールセンターを退職することとなりました。
いやはや、最初は冗談みたいな調子で入社した会社でしたが、8年も働くことになるとは思ってもいませんでした。

当時はオーストラリアのワーキングホリデーから帰国したばかり。
ひょんな経緯で入社したころは、まだオーストラリアに行くのだと考えていましたが、その後は「ビジネスに生きるぜ」と(まぁ半分オーストラリア行きをあきらめたのもありますが)、様々試行錯誤してきました。
結果的には退職して中医師を目指す、というパスを進むことになりました・・・って←だけ見ると「はぁ?」という感じですが、それなりに筋が通っている話なのです。

これから何本かのエントリーに分けて、入社から退職までの経緯をまとめます。
今回のエントリーは、そのアウトラインをざっくりと。

■ 入社、個人プレーの価値観の限界

当時僕の所属先となった部署は立上げ期でした。
僕は、当時受注したばかりのサービスを運営に向けて準備中のチームに割り当てられ、「スーパーバイザー兼オペレーター」をこなす羽目になりました。運用開始前の資料作成をしながら・・・。
そんなわけでいきなり荒海に放り込まれた僕は、しかし旺盛な好奇心に任せるままになんでもやりました。当時は個人のスキル獲得が、全てを明るくするという価値観でした。それは、その後拡張するにつれてオペレーターを採用するようになってもしばらく続いていました。

しかしその後紆余曲折あって40名程度のチームを対応するようになると・・・猛烈なスピードで壁に激突しました。個人プレーでは乗り越えられない壁だったのです。
(文字にするとあまりに平凡ですが)同時に、みながみなスキル獲得を志向するわけではなく、大人数を統制するためには次元の違う視点が必要であると痛感しました。

僕はそれまでの価値観を放棄せざるをえず、徐々にその解決策を模索することとなりました。
当時マネジャーになったこともあって、それは「マネジメント」というキーワードでしたが、さらに絞り込むと「人材マネジメント」となっていました。

■ 人材マネジメント:最初は雇用問題

最初のキッカケは、自分が壁に激突して致命傷を負う前に感じていたことでした。

僕の所属していたコールセンターは、そのコスト構造上(世間一般のコールセンターと同様)非正規雇用者・・・アルバイトが多く就業していました。
また、他部署では夜勤に数十名のアルバイトが所属しており、その年齢層が高いことが気になっていました。
僕は(結果的に大したモノでなかったのだけれど)学習と実践によって様々なスキルを獲得する一方で、彼らは『コールセンター オペレーター』の中にとどまります。その中でスキルを高めるのならまだしも、ただ日々をすごしている・・・ように見える。学生スタッフが学校を卒業するため退職する一方で、40歳を超えたフリーターが勤務し続ける様子をみて、これってなにが問題なんだろう?と考えていた時期がありました。

その時期は日本における雇用問題に関してよく勉強したものです。
当時は自らの就業状況も悪化していたこともあって、自衛の意味もあって労働問題についての書籍もあたり、労務局に足を向けたことも。

「40歳を超えたフリーター」が登場しうる環境については理解したし、それが続いてしまう要因も知りました。せめて彼らをスキル高い存在とさせたいと思っていた僕は、ある時一冊の書籍に出会いました。
企業内人材育成入門』でした

■ 人材マネジメント:人材育成、キャリアへの視点拡張

その後、様々な人たちと話をしましたが、『企業内人材育成入門』をきっかけに人材育成への関心を開く方は多いようです。僕も多分に漏れず、この本によってその奥深さ、意義を知りました。

著者東京大学中原淳準教授のコネクションから神戸大学金井壽宏教授の著作に触れることとなります。金井教授はキャリア論の第一人者。正直なところそれまで「キャリアとはなんぞや」と自分の頭の外の世界をめぐらせたことのなかった僕には、これも視界が晴れるものでした。
かつて思いをめぐらせていたフリーター問題は、キャリア教育の機会がなかったことだろうと強く認識したし、しかも「正社員になった僕」にとっても、必要不可欠なものだったのです。

■ 人材市場におけるスキル不足に気づいて行動開始

どちらかといえば「いかに他を高めるか」と外を見ていた僕は、やがて気づきました。
いやいや、そもそも自分はどれだけのものなのか?と。

社内においては、それなりの立ち位置を確保していたと自負がありました。
でも、ふと気づくと、それはかなり危ういものであったことに気づくのです。「人材市場において、オマエは本当に価値があるのか?」と。

その危機感に気づいてから、その後の様々な事柄が加速したように思います。
恥ずかしい話、2010年ごろになってようやくそのことに思いあたりました。もっと早く気づいても良かったようなものです。

他者への関与をきっかけに動き出した僕は、その後結局は自分への危機感をもっとも強く持って行動を開始したのです。

■ 所属部門でのスキル向上も試みる

しかし僕は人事部の人間ではありませんから、「人材マネジメントに関心があるんです」といってそれだけに傾倒するわけにもいきません。それでは現実逃避と同じです。

個人プレー時代に幅広く業務を体験することが出来ていたので、専門であるオペレーション以外の分野・・・営業や、システム開発など・・・について初歩的な知識は持ち合わせていました。
次に狙うべきは、「それをいかに他を巻き込んでパフォーマンスを高めるか」でした。
僕が先頭に立ってチームワークを確立し、まずは自らの所属するオペレーション部門において実績を出すことを意識していました。

しかしそれは非常に難航しました。
僕のチームは、僕が合流してから当時のSVは全員退職したこともあって最初から火が吹いている状態でした。新たに人員が投入されますが、誰も長く続かずにさらに退職します。
それが4年も続いており、慢性的な人材不足に悩まされました(人数の問題ではありません)。

それでもなお行動することは止めませんでした。

社内の外部教育機関派遣制度に立候補し、グロービス・マネジメント・スクールの3ヶ月コース(HR系)に通いました。
外部の勉強会に積極的に顔を出すようにしました。
転職サイトに登録し、転職を試みました。
どうにか面接にこぎつけながらもぶちのめされたりもしました。

■ 身体へのダメージ

当初は社内においての行動改革を目指しました。まずは自らを。理想として部全体を、異部署を。
しかし当時の担当業務を抱えながらの行動に限界を感じ、社外に機会を求めます。
転職の試行錯誤。あるいはNPO参画や勉強会企画などのプライベート活動をテストしたこともあります。

もちろん日常業務があります。要因は様々あれど、瀕死状態が4年続いているようなもので、常に火の車のようでした。

こうした社内外の様々な行動や出来事は、僕の身体に確実にダメージを与えており、慢性的な疲労、あるいは一時的には鬱状態に陥りました。社内に限らず家庭においても無視できない影響が出るようになっていました。
それは仕事を起因とするものだけではなく、3月11日のあの大地震も切って離せないものです。

まわりにあたることもありました。イヤな思いをした人は多かったはずです。
僕がダメージを負うだけですみませんでした。

■ 義父からの提案と、退職

2011年秋頃、義父から提案が寄せられました。
上海の大学に通って、中医師にならないか。

当時僕の担当していた業務が運用中止(正確にはクライアントの自主運営にシフト)となることが決定したこと、当時の勤務先の可能性やらあれやこれやらから、行き詰まりを感じていた僕は、様々考えをめぐらせた結果、その提案を受け入れることとしました。

・・・というとあまりに唐突な話ですが、そこには僕なりの一貫性のあるシナリオがあったのです。

かくして僕は、運用引継ぎのミッションを(最後まで冷や汗をぎゅうぎゅうと搾り取られながら)こなして、退職しました。

***

振り返れば、さまざまな事を経験しました。身体にかなり深刻なダメージを負って、それは離職後約2ヶ月を経てなお影響の残るものです。
しかし、あの時代がなければ人生バラ色だったかというと、そうではないと考えています。今の自分の立つステージは、あの経験がなければもっと低いものであったはずだとも思うのです。


田坂広志は、著書『未来を拓く君たちへ―なぜ、我々は「志」を抱いて生きるのか』でこう説きます。

人生において「成功」は約束されていない。 しかし、人生において「成長」は約束されている。

当時思い描いていたビジョンを達成することは出来なかったけれども、それでもあの経験は僕の糧となった、と思うのです。

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プロフィール

  • こんにちは。

    僕はコールセンターでオペレーション部門のマネジャーだった元サラリーマンです。2013年より上海で中医学を学んでいます。
    →2019年の医師試験に奇跡的に合格、晴れて中医師に!
    →就職活動を始めるも、中国ビザ規定では「経験2年以上でないとダメ」、新卒じゃダメじゃん
    →ある外資系クリニックに事務系何でも屋として拾ってもらう(いまココ)

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