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2011年3月20日 (日)

地震の時になにを思ったのか、ふりかえることの大事さ

地震が発生してから1週間以上が過ぎた。

あの時、僕は価値観を大きく揺さぶられた。
家族、社会、仕事、そして生。

しかしその日の晩からコールセンターの復旧に翻弄されることとなった。
クライアントとの連絡をとりながら、脊髄反射的に問題解決が続く。

余震の度に16Fにあるオフィスが揺れる。
ニュースでは「2~300人の溺死体が見つかった」と報道される。
津波の絶望的な映像が流れている。

しかし、正直に言って、気にしている暇はなかった。
僕の当時起きた価値観の揺らぎは、徐々に薄れていくこととなった。
目の前に散乱する諸問題に対処するために、振り返る余裕はなかったのだった。

これは多くの人たちに起きていることだと思う。
当時大きく価値観を揺さぶられながらも、目の前の問題に対応するにつれてその頃のことを忘れていく。

僕は、それを防ぎたい。
あの時、僕らが未来をどう思ったのかを忘れてはならない。
これからの社会復興につなげなければならない。

それは個々の思いが喪失されるという問題ではない。
亡くなられた方々は、それを実現につなげる機会を奪われたのだ。


3/11(金)に発生した東北関東大震災。僕は当時新浦安にいた。
オフィスのある16Fではなく、近くの駅ビルの4Fで食事を取っていた。

これまで経験したことのない縦揺れと横揺れに、僕はあの時死を意識した。
駅前のロータリーに避難したあとも余震が続いた。

職場に電話をするも、(当然)つながらない。4Fと地上であの揺れなのだから、16Fは相当なことになっているだろうと想像するだけだ。
階段で戻ろうかと考えているところに、二度目大きな余震が発生し、足がすくんだ。
ダイエーが不気味な音を立てて揺れた。余震のたびに、足もとのタイルの破損が拡大し、建物と地面の段差が広がった(埋め立て地なので地盤が弱いのだ)。

電話がつながらない一方で、twitterとメールは生きていることを早期に認識していた。
嫁から安否確認の返信が届いたとき、僕は安堵し、涙した(嫁はtwitterをやっていない)。

幸いにもコールセンターのスタッフはけが人なく避難を完了できていた。
全員を退社させる。僕も一度家に帰って嫁と合流した。
嫁は台湾人だが、台湾の大地震を上回る衝撃だったと驚いていた。

***

その日の晩から、コールセンターの復旧作業に取りかかった。
やはり16Fの揺れは尋常でなかったのか、冗談みたいにしっちゃかめっちゃかになっていた。
しかし奇跡的に電話交換機はまったく停止することなく生きのびていたため、なんとか運用再開にいたった(サーバーラックは軒並み倒れていたが、そのまま稼働していたのだ)。

正直にいって、「仕事なんてしている場合か」という思いがあったことを認める。
脇のUSTREAMでは地震直後の様子や被害の大きさを報道している。津波が様々なものをまるでオモチャのようにかきまわす映像に息をのんだ。「津波後から2~300人の溺死体が見つかりました」というアナウンスは、作業の手が止まって茫然とした。
その合間にも、ゆらりゆらりと余震が押し寄せる。

しかし目の前の作業はそのことを忘れさせてくれた。
良くも悪くも、だ。
ただひたすら作業に没頭し、徹夜の作業となった。
翌日の昼ごろに家に帰り、翌朝まで泥のように眠った。その日も余震があったようだが、まったく気付かなかった。その次の出勤は、また徹夜で、深夜に帰宅となった。
(幸い僕の住む南行徳には目立った被害はなかった)

その後はそこまでのハードワークではないものの、やはり平時に戻ったとはいえない状態だ。クライアントとの連携、定期停電の準備、スタッフのシフト組、スタッフのケアなど。

自分の視野が仕事だけに狭まっていくことを感じる日々・・・。

***

あの時、新浦安駅のロータリーにはたくさんの人が集まった。
あの大勢の人たちは、少なからず死を意識し、今後の生き方に思いを馳せたはずだ。
しかし僕がそうであるように、日が経つにつれてその思いは薄れていくだろう。

もちろん仕事に打ち込む事は尊い。経済を止めるわけにもいかないのだ。
喪に服すことは精神的に素晴らしいことだが、それだけでは日本がつぶれてしまうのだから。

だけれど、あの時にみんなが描いた今後のあり方を・・・それはあるいは一時的な衝動かもしれないけれど、しっかりとあらためて向きあう必要があるはずだ。
あの時に何を思ったのか、今度の社会がどうあるべきと想像したのか。自分がどう生きていこうと考えたのか、思い出さなければいけない。

このまま日常に溺れて、当時の思いを忘れることは、個人の問題として無視してはならないはずだ。また、それは亡くなられた方々が馳せた思いを実現する肩代わりの機会を失うことを意味するのだ。

1)当時、僕らは何を思ったのか。今後の生き方を、社会を、どうしたいと考えたのか。
2)それを実現し、経済復興だけでない、新たな日本像を作る。

僕は、そのようなプロセスに関わる行動をしたいと思う。

最近興味のあるワールドカフェは、体験を共有するツールとして有効であろう。
しかし共有した知見を現実のものにするためには別のツールが必要だ。
色々な人に意見を聞いてまわろう。

***

今後この考えを成就する機会が与えられたときに、しかしくじけそうになったときのためにも、そう考えるにいたった経緯をちゃんとまとめておきたかった。

ブログを読んでいただいたみなさんも、よろしければあの地震の時に何を考えたのかを振り返っていただければと思います。

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プロフィール

  • こんにちは。

    僕はコールセンターでオペレーション部門のマネジャーだった元サラリーマンです。2013年より上海で中医学を学んでいます。
    →2019年の医師試験に奇跡的に合格、晴れて中医師に!
    →就職活動を始めるも、中国ビザ規定では「経験2年以上でないとダメ」、新卒じゃダメじゃん
    →ある外資系クリニックに事務系何でも屋として拾ってもらう(いまココ)

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